先生や親から、学校の成績や態度について注意されたことがない人はいないでしょう。
現代人の脳にいまだに刻み込まれているのは「学校の成績で人生が決まる」という考えです。
これは先生や親だけではなく、そういうことを言われてきた僕たちにも当てはまります。
ですが、学校での評価が低かったのにも関わらず、後世にまで名を残す偉人になった人もたくさんいます。
いや、むしろ、偉人や現代の億万長者ランキングの上位にいる人たちは学校での評価が低かった人が多いくらいです。
そういう事実がある中で、僕たちはどんなふうに生きれば、自分らしく成功することができるのでしょうか。
今回紹介するのは,トッド・ローズ著【平均思考は捨てなさい 出る杭を伸ばす個の科学】です。
【平均思考は捨てなさい 出る杭を伸ばす個の科学】によると、それぞれにフィットした環境が平等に与えられることで世の中はもっとよくなり、人は幸せに成功することができると書かれています。
この結論だけ聞くと夢物語に感じる人が多いでしょうが、【平均思考は捨てなさい 出る杭を伸ばす個の科学】に書かれている解決への提案はお見事だと思いました。
もちろん世の中がそう簡単に変わるわけではないので困難なこともあるでしょうが、おおよそ実現可能な提案だと僕は思います。
この記事では【平均思考は捨てなさい 出る杭を伸ばす個の科学】を要約し,気になったところを解説していきます。
平均値を信用しない
【平均思考は捨てなさい 出る杭を伸ばす個の科学】の中で一番印象的だったストーリーは,アメリカ空軍のコックピットの話です。
1940年代末,アメリカ空軍のパイロットたちは戦闘機を制御できなくなり,ひどいときには一日に17人もの人が墜落事故を起こしていたそうです。
原因はコックピットのサイズで,当時の戦闘機のコックピットは1926年のパイロットの体のサイズの平均をもとに作られていたそうです。
ただその平均サイズ,当時いた4063人のパイロットの中で,平均サイズの範囲内におさまる人は誰一人としていなかったと言われています。
そこで,コックピットを(今では当たり前でしょうが)シートなどを調整できるようにしたら,事故はなくなったそうです。
平均って便利なように感じますし,平均値を出すのも特に難しくないので,ついつい頼ってしまいますが,個人に関する決断を下すときには平均値は役に立たないと言われています。
皮肉なことに平均をもとに何かをつくると,誰にもフィットしないものができあがってしまうのです。
平均とはどのように生まれたのか
【平均思考は捨てなさい 出る杭を伸ばす個の科学】の前半は「いかにして平均主義が生まれたのか」ということにページが割かれています。
平均主義とは,平均にもとづいて個人を理解しようとする考えのことです。
例えば平均よりも上なら有能,平均よりも下なら低能というような考え方で,おそらく多くの人に馴染みがある考え方だと思います。
この平均主義がどのように生まれ,現代まで幅を利かせているのかという話がすごくおもしろかったです。
ざっくり言うと
- 最初,平均はベストな状態を表すものであり,平均から離れれば離れるほどエラーと見なされた
- あるときから平均=凡庸と見なされ始め,平均よりも上なら「有能」,下なら「低能」とされた(ランクの概念)
- アメリカの産業が「農業」から「工業」に移行したころ,この平均主義が取り入れられ,個人優先から組織優先になった
- その平均主義が教育に取り入れられ始めた
みたいな流れです。
【平均思考は捨てなさい 出る杭を伸ばす個の科学】は基本的に「平均主義」を批判していますが,ここまで世界が発展したのは,平均主義のおかげとは認めています。
とはいえ、平均主義は今の時代にフィットしなくなってきたのも事実。
僕たちの脳から体に染みついた「平均主義」から脱却することを考えなくてはいけなくなってきました。
【平均思考は捨てなさい 出る杭を伸ばす個の科学】はそのための手引書とも言えるでしょう。
卒業証書ではなく資格証明書を発行する
【平均思考は捨てなさい 出る杭を伸ばす個の科学】には平均主義から個人主義に移行するための提案がされていますが、中でもおもしろかったのは「卒業証書ではなく資格証明書を発行する」というものです。
従来であれば、大学を卒業する場合、卒業証書をもらわなくてはいけません。
ただこの卒業証書をもらうためには、将来就くつもりの仕事には関係がない単位も取得しなければいけません。
仮にその単位を落としてしまったら、仕事を始めることができないのです。
ではどうすればいいのかというと、資格証明書を発行する形にすればいいのです。
資格証明書とは例えばこんな感じ。
- ウェブサイトのJavaプログラミング
- 第一次世界大戦の歴史
- お菓子づくり
- アジアの気候学
従来の卒業証書での単位よりも、より細かく分類され、有意義な知識を獲得したあとに単位が発行されるというものです。
講義も数回出席したら取れたりするものから、1年以上の期間が必要なものだったり、従来よりもより柔軟に勉強することができます。
例えばビデオゲームのデザイナーになりたい場合、コンピューター科学の分野で学士を取得する必要はなく、プログラミング理論、モバイル機器プログラミング、コンピューター・アニメーション、グラフィックデザインの資格証明書を取得すればいいのです。
これだと自分の目標に向かって、時間とお金を無駄にせずに勉強することができていいですよね。
僕は数学教員の免許を持っているのですが、今思えば、絵を描く講義だったり、介護実習なんかも行かされた記憶があります。
こういうのをやめて、その分、もっと数学に関する勉強をするか、学生にとって有意義な活動に充てれたかもしれないと考えると、とてもいい制度だと思います。
まとめ
【平均思考は捨てなさい 出る杭を伸ばす個の科学】によると、それぞれにフィットした環境が平等に与えられることで世の中はもっとよくなり、人は幸せに成功することができると書かれています。
「平等なフィット」について考えるときに、どうしても一つの組織内では難しいかなと思いました。
それこそ、各個人にフィットするような複数の教育機関(習い事なんか)が連携して、将来のために手を取りあうことが実現の一つの手段なのかなと思いました。